Sudo Hoko
etching & ink drawings
須藤萌子 版画とドローイング
銅版画とは
エッチング銅版画とは、うすい銅版の表面へ専用の液剤をぬり、乾いた面へ、鉄筆でひっかくようにして絵を描いていく。
鉄筆によって、溶剤が剥がされ銅がむき出しになった部分と腐食駅との化学反応によってできた溝にインクを詰め、手回しのプレス機で印刷すると、左右反転した絵が紙へ転写される。金槌(かなづち)でたたいたり、彫刻刀や鑿(のみ)などを用いて刻むほどの力は必要としない。
鉄筆の先を思うところへ運ぶことができるか、腐食の時間を見あやまることがないか、いくつかの工程において緊張の場面があるがそこは制作の楽しみといえよう。
須藤と銅版画 ‐イメージの生成について‐
「腐食により幾重にも重ねられた抽象表現」、「細く滑らかに刻まれた線による具象表現」。
このふたつが調和し、独特の世界が展開されるのが須藤萌子の作品の特徴です。
彼女は幼少期から祖母に導かれ、日本、フランス、イタリア、中国、エジプトなど、国内外の芸術に触れる機会に恵まれました。そのためか、絵画を鑑賞し、描くことが好きな子供でした。
その後、20代までを過ごした故郷の風景、湖、祖母の愛した庭からインスピレーションを受け、次第にアートで「表現をしたい」という思いが芽生えました。
大学では油彩画を専攻し、誰よりも多くの時間をキャンバスに向かって過ごしました。しかし、修了制作に取り組む段階で、筆跡や色彩、体の動き、感情などをキャンバスに投影する方法に限界を感じていました。
そんな折、夏休み中に開催された3日間の講義で、彼女はエッチング銅版画と出会いました。思い通りにいかない繊細な線の表現に戸惑いつつも、刻み、腐食させ、刷り上げる、という工程に魅了されました。
腐食を経て表情を変えていく版への不思議な感覚。油彩画とは異なる制作の過程において、自分の手で創り出しているのだという感触が満ち溢れてきました。
植物シリーズより
〈植物の囁き〉
the plants whisper1個人蔵
〈植物の囁き 2〉
the plants whisper2
銅版画制作は彼女に強烈な衝撃を与えました。
何よりも、プレスの瞬間を自分で目にすることができないという事実。
これが、版と紙、作者との"秘密の対話"のようで、彼女は心から魅了されました。
この経験は、油彩画制作へのアプローチにもポジティブな影響を与えました。
幼少期の芸術探求を通じて鑑賞してきた作品が、より鮮明に彼女の内面に浸透し、新たな作品を創り出す糧となりました。
これは大きな変化であり、彼女の成長に寄与しました。
銅版画制作は、彼女の内なる声 "何を表現したいか" を掬い上げ、自分とさまざまなものとを結びつける手段として、不可欠なものになりました。
かつて情報伝達や金工職人たちの記録媒体として西洋から伝わった銅版画。
しかし、須藤萌子にとって、銅版画は単なる記録の手段ではありません。
今では"空想表現の装置"として、彼女の内なる世界を表現する唯一無二の手段となっています。
〈展示風景〉2023 亀山画廊
stoneシリーズ ‐ちいさな石をつみあげていくように‐
2008年から続けられてきた〈stone〉シリーズ。
これらの版画の「石」たちには、名前や特定の種がついているわけではありません。
番号でのみ識別されたこれらは、須藤自身や他者が取りこぼしがちな“小さな思い”を石のカタチへと具現化したものです。
「何の石か?」、「実際の大きさは?」などにとらわれず、作品をただ楽しんでほしい。
観た人が、石を通して自身の小さな声をすくいあげる時間を過ごしてほしい。
このふたつの願いが、作品に込められています。
〈stone〉シリーズは、石のカタチを通じて、抽象的な思考や感情
を表現する試みであり、その意味は鑑賞者一人ひとりによって異
なります。
2023年、彼女は「雁皮刷り」という新たな挑戦を始めました。
雁皮紙という素材に取り組むことで、表現の奥行きが深まり、作品
に新たな次元をもたらしました。
雁皮紙は「己自身もまた限りある資源のひとつ」だと確信させました。
よい素材は、表現者自身を謙虚にさせ、更に創作意欲を後押しする
パワーを持っていることを気付かせてくれたと須藤は言います。
これらの石の版画たちは、日々の積み重ねのように制作されており、その背後には彼女の繊細な思考と情熱が詰まっています。
〈stone〉シリーズは、鑑賞者にとって個々の感情や考えを呼び起こす、魅力的で深みのある作品群です。
是非、その独自の世界に触れてみてください。
stone.シリーズより
〈stone.No.4〉
モノタイプ
個人蔵
〈stone.No.5〉
植物シリーズ ‐植物たちから生きる貪欲さを学ぶ‐
須藤萌子は、多感な時期に祖母の愛した庭から制作のインスピレーションを育んできました。
植物を題材にすることに対して、強い意識が芽生えたのは2020年のできごとでした。
その年、自由に外出できない日々が続いた中で、彼女は近所の公園へ向かいました。
そこで、タンポポの種が風に舞い、遠くへ旅立つ様子を目撃しました。
この瞬間、植物たちの不変の営みに気づき、心を打たれたのです。
また、自宅で過ごす時間が増える中、鉢植えのサボテンに目が留まりました。
いつの間にか鉢の中で貪欲に増殖していくサボテン達。拡大鏡で覗くと、普段は見過ごしてしまう棘や毛が、新たな美しさを放っていました。
一見グロテスクに映るそれらが「身を守り、生き残るための証」であることに、彼女は感動しました。
〈植物〉シリーズは、この時の体験から得た洞察と感銘を表現したものです。
須藤の作品は、植物の生命力と美しさを称賛し、それを鑑賞者に伝えます。
それぞれの作品には、植物の持つ驚くべき特性が凝縮されており、彼女の感受性豊かな制作姿勢が反映されています。
植物シリーズより
〈植物は囁く〉
the plants whisper 5
〈植物は囁く〉
the plants whisper 6
〈植物は囁く〉
the plants whisper
みずうみと風シリーズ ‐追い求めるゆらぎの表現‐
須藤の抽象表現の源は、彼の故郷である湖と風から派生しています。
このシリーズのイメージのルーツは、「遠州の空っ風」と呼ばれる風にあります。
冬になると南アルプスを超えて太平洋側に吹き降ろし、海へとつながる湖を渡る風。甲高く響く乾いた風の音。
この風は、幼少期の彼女の五感を刺激し、心に深い感銘を与えました。
このときの体験から、彼女は、故郷の湖と風を触媒にして、人の心に届く“ゆらぎ”を表現したいと思いました。
そのために、エッチング銅版画の特徴である、鉄筆の針先で彫り上げていく繊細な「線表現」と、腐食留め溶剤を絵具のように使用して刷毛跡を残す「面表現」を組み合わせ、より力強い画面を生み出すように工夫を重ねてきました。
「ふき取り」の工程でわざとインクを残して、かすれさせること。
詰めたインクをほとんどからめとるように拭きあげて、周りをにじませること。
このような表現は、須藤が学生時代に絵画を専攻していた経験が影響しているといえます。
〈みずうみ〉シリーズには、湖の静寂と風の力強さが織りなす“ゆらぎ”が表現されています。
言い換えれば、“ゆらぎ”を腐食の魔法で生んだ作品群といえます。
湖シリーズより
〈しるべなき湖 2〉